京都府南部に位置する和束町は北に「鷲峰山」を境に
宇治田原に接し、南には「笠置山」が望まれます。
その独特の地形によって立ち込める霧や、
栄養を豊富に蓄える土壌と、
まさにお茶を育てるのに適した土地として、
お茶が伝来して以来ずっと良質な御茶処となっています。
和束は【茶源郷】とも呼ばれ、摘み取リの時期になると
谷中にお茶の香リが溢れ出し、
他の土地では味わうことのできない幻想的な風景が広がります。
和束茶は、気象的・土壌的に恵まれた条件を生かし、古くから香り高い高級煎茶を栽培し、
現在も宇治茶の4割弱を生産する産地で、近年ではてん茶の生産は全国トップクラスの生産量を誇っています。
和束町のお茶の歴史は、鎌倉時代に海住山寺にいた高僧「慈心上人」が、
茶業興隆の祖と言われる「栂ノ尾の明恵上人」から茶の種子の分与を受け、
鷲峰山山麓に栽培したのが始まりであると言われています。
また、天正年間(1573~1592年)には、和束郷原山の地に57aほどの畑を開き、
茶の実を蒔いたと言う記録が残されていますが、
その当時の製茶法は極めて幼稚なもので、自家用に使われていたと言われています。
その後、元文3年(1738年)に和束の隣、宇治田原町の永谷宗円が煎茶法を考案されたが、
和束ではそれ以前からお茶を作り販売していたらしく、町内の大智寺所蔵文書にその記録があります。
その頃からお茶の栽培が増え、煎茶を専門にする農家が出始め、江戸時代中期からの茶保護施策により、
和束茶業も一層発展し、今日に至っています。
日本茶の種類は品種で決まっているのではなく摘み取りの時期、
育成方法や加工方法で決まります。
例えば収穫までを言えば、日光に直接当てて育てたものが煎茶、
収穫前に黒い布を被せてアミノ酸を増やしたものが冠せ茶、
専用の基準を満たした黒い被せの棚で覆って育てたものが玉露や碾茶になります。
摘み取り時期でいえば、五月初旬ごろにその年初めて摘み取るものが初茶で、香り高く味が良い。
七月ごろに摘まれる二茶はさっぱりとした飲み口となり多種なお茶に加工されます。
加工でも風味や煎れた時の色合いが変化します。
茶葉を一度蒸す工程がありますが、蒸す時間が長いほど滝れた時の緑が濃くなり逆に香りは薄くなり、
同じ品種の木でも育て方・加工方法で風味が全く変わるのが、お茶の特徴と言えます。
和束は天皇家ゆかりの地
歴史的には江戸時代、二代将軍徳川秀忠の妻「江」との間に生まれた、
五女徳川和子が天皇家に嫁いだ際に、
当時より上質な茶葉が取れることで有名だった「和束の地」を化粧領として献上されたことから、
和束町は皇室の土地「禁裏御料地」となり、天皇家御用達のお茶としてさらに名を高めました。
またこの地は聖武天皇や後醍醐天皇のゆかりの地としても知られ、歴史的にも面白い土地です。